【振り返り】約1年間の育児休暇を終えて【その他】
2021年3月から始まった育児休暇は、2022.1月末を持って終わりました。
長女ちゃんは6歳、次女ちゃんは4歳なので、家事にせよ育児にせよ、何にせよ初めての事はないのですが、専業主夫になるにあたっては最初は転職のつもりで、育児休暇に入りました。育児休暇(育児休業)と世間では言われますが、「休暇じゃなかった」というのは振り返ってひとつ思うところです。「どう、ゆっくり休めた?」とか聞いてくる方がいらっしゃれば「それ、二度と言わない方が良いよ」って教えて差し上げる所存です。
余談なんですが、育児休暇って言葉が誤解を生みかねなくないですか。「育児修行」とかどうですかね?育児休業と似てるし。やることに向き合えば修行した感覚は持てると思いますし。
とはいえ、仕事はお休みなので「じゃあ、何に時間を使ってたの?」と聞かれるとあまりはっきりとした答えは用意できないのも現状です。一つあるのは「夫婦での話し合いの時間」は思ったよりずっとありました。平均すると毎日1〜2時間くらい、夫婦で話していたのではないかとおもいます。その内容は育児についての話もあれば、生活全般の改善のための話とかもありました。主夫という新しい生活になったのに、そうした生活の組み立て方に関する話し合いをすべきという認識がなかったので、この辺は嫁さんが上手くリードしてくれていたなーと思います。
ちなみに、平日であれば10時くらいまでは幼稚園への送り出し〜洗い物〜洗濯〜掃除、という感じであっという間です。10時くらいから話をするとそれで12時。お昼ご飯を作って食べて14時に幼稚園のお迎え。子供達が帰ってきたらもう落ち着いて何かに取り組むというのは不可能なので、あとは寝かしつけまでの時間は子供優先で過ぎていきます。
土日は言わずもがなですね。
育児って仕事より大変なのかもしれません。
上の記事では、育児休暇の序盤に料理作りで大変疲弊している様子が記録されています。
この文章を書いている時点では仕事が始まっているのですが、思ったより仕事で疲弊していないことを意外に感じています。いや、まだ業務の負荷がそれほど強くないとか、一緒に働くスタッフが気を使ってくださっているとか、という側面は大いにあるので今後は分からないのですがそれでも疲れきってないのが不思議に思っています。
前提条件が違うので単純な比較ができるとは思っていないのではありますが、仕事と育児休暇での序盤の違いは顕著に感じています。
今はフルパワーで生活するより、子供たちが環境の変化にどういう反応を示すか嫁さんと見守りながら生活していきたいと思っているので多少なりとも気持ちの余裕を残せているのは非常にありがたい限りです。
それでは本題に移っていきます。下記です。
【育児休暇はどういう意味や価値があったのか?】
この質問に自分の回答を書いていきます。以下のことがあって、すこぶる貴重な時間になりました。
・料理ができるようになった
・子どもへの自分の感情と向き合う時間になった
・自分のことを深く考える時間になった
・家族といる時間が楽しかった
・新しいことを勉強することができた
・仕事と距離を置いたことで、「仕事への気持ち」を確かめることができた
一つずつ、記載していきます。
・料理ができるようになった
日常のご飯作りを約1年間、3食作りました。三女ちゃんの離乳食も作りました。その結果、料理は好きだと思いました。料理をふるまったのは、家族以外にも親族や友人にもふるまいました。他人の家でも作りました。子どもたちがよく食べるレシピもいくつかゲットしました。他人から美味しいと言われる機会が複数回ありました。包丁を研げるようにもなりました。調理の備品にも意識が向くようにもなりました。献立を決めなくても、買い物にいけるようになりました。今後もご飯作りはできると確信を得ました。
料理ができるようになった、という自信を得ました。家族のご飯のことを考えるという、「苦しみも混ざる豊かさ」を感じられるようになりました。
・子どもへの自分の感情と向き合う時間になった
上記記事で、子どもと関わる時に出てくる感情について記載しました。
育児休暇は「自分の怒り」との戦いでもあったかもしれない。「怒り」というのは「期待」から生まれます。
「時間通りに幼稚園に行ってくれるものだ、という期待」
「ご飯はスムーズに食べてくれるはずだ、残さず食べるだろう、という期待」
「姉妹で仲良く遊べるはずだ、という期待」
「親の言うことは聞くべきだ、と考えているはずだという期待」
それらの期待はすべて、自分が「そうしてほしい」と考えているから生まれていて、その期待と現実が食い違うときに、怒りが生まれます。
あ、ちなみにこれは僕の話ですからね?一般化できるかまでは考えていません。
それで、期待があることに気づいてからは、「そういう期待がある=自分の押し付け(エゴ)」と捉え直しました。
エゴはあって当然のもので、否定したいとは思っていません。それに、上記の期待はそれぞれ子どもの教育には意味があるものだと思っています。だから上記の期待を手放した方がいいとも思っていません。
それでも、エゴを押し付ける可能性があるなら、伝え方やタイミングは工夫した方がいいなと思い直しました。そんなふうに考え方を変えたら、「今までなんでこんなことにイライラしていたんだろう。。。?」というくらいに、怒らなくなりました。
「別に今日くらい良くね?」「別に一個くらい良くね?」とか、良くね?って感じになりました。
そして、子どもたちに肯定的な言葉がけや、「好きだよ」という言葉を投げかける頻度を増やしました。その効果は子どもたちにあるのかどうか、分かりませんが自分が相当楽になったのは感じてます。
・自分のことを深く考える時間になった
上記の記事はコーチングを受けたことを記録したものです。
育児休暇を1年取ろうと決めたのは(実際は11ヶ月でした)、コーチングをしてくれる方に出会ったからというのも大きいです。
休みの間、コーチングを定期的に受けることができればもっと自分の価値観ややりたいことが明確になっていくのでは?と思ったのです。そしてそれは実際にそうなりました。
上記の記事の後、「安心の循環を作りたい」というのが僕のやりたいことだと自分で見つけることができました。自分の人生が過去から今につながって、未来に向かっていくという感覚も強くなりました。
この感覚は「これが僕です」と言えるようなものです。これは誰に伝えても恥ずかしいし、しょうもないし、恥ずかしいことですが、まごうことなき、嘘もつけず、「これが自分です」と言えることです。
・家族といる時間が楽しかった
【今週気づいた事】外にちょっとだけ出ると気づけることがある。
上の記事はただ、子ども連れて散歩したというだけの記事ですw
【料理で起こったこと】失敗したのは挑戦したからじゃん?【その他】
上の記事は、料理で失敗した僕を嫁さんが慰めてくれた(のか?)という記事です。
嫁さんを始め、子どもたちはそれぞれの個性をもっています。とにかく家族と一緒にいるというのが楽しかったです。この家の一員でよかったなと思います。そりゃ、嫌な時もありますけど、ひとりになりたい時もありますけど、こいつらのために頑張るのも悪くないと思います。
・新しいことを勉強することができた
・仕事と距離を置いたことで、「仕事への気持ち」を確かめることができた
主夫から会社員に戻る。その環境が変わることは怖いことですが、それでもまた仕事がしたいと思いました。復帰して働き始めた今ですら怖さとワクワクの両方を感じています。失敗することや、誰かを傷つけることはとても怖いことですが、もっとできることを増やしていきたいと今はそう思っています。組織の一員として、就労支援員として、一人の人間として、まだ成長できると信じられます。それがワクワクします。
以上です。
全体的にみると、経済性とか効率性とかそういうところからはだいぶ離れた意識で生活していたなーと思います。そのため、自分という存在にフォーカスして生活できたのかなとも思います。
一番良かったのは、嫁さんと2人で育児を満喫できたことが嬉しかったです。楽しかったです。彼女が僕のことを支えてくれたから、僕はやりたいことができました。豊かな時間だったと確信しています。育児休暇が終わることが寂しく感じます。それくらい、日々が楽しかったからです。でもこれからも、二人で育児していきたいということは変わりません。二人と子どもたち3人でやも家をもっと楽しいグループにしていきたいと思っているのは今までと変わりません。
一緒にいてくれてありがとう。
支えてくれてありがとう。
子どもたちを愛してくれてありがとう。
家族を大事にしてくれてありがとう。
楽しい時間をありがとう。
これからもよろしくお願いします!
そんなこんな。
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