【その他】コーチングをオッススメする。
実は、育児休暇に入る前から僕はコーチングというものを受けています。
コーチングとは他人とのコミュニケーションの一つの手法のことであり、僕はコーチングが好きです。そして、「もっとみんなコーチングを受けたらいいのに」と思っています。そういう思いをこの記事に込めます。
なので、この記事ではコーチングについてプロモーションの要素があります。まぁ、プロモーションといっても個人や組織から報酬をもらっているものではありません。
一人のブログ運営者として、「この記事はPR記事です」とか言ってみたかった。それだけのことです。うん。満足です。
そうそう、スポーツ界隈で言われるコーチとは少し毛色が違うと思います。気づきを与えるという点では同じですが、「伝える」とか「教える」というより、「話を聞いたことからコーチが疑問に思った内容についてさらに聞いていく」みたいな時間が多いです。僕の見聞きしたものは、ですが。というのも、コーチングもいろいろな組織があるので、調べると奥が深いです。
僕が知っているコーチングでは、「自分のことをめっちゃ語る、考える」というのがコーチングの時間なのです。僕は話をするのが得意なタイプではない人間ですが、コーチの聞き方というのはすごいもので、「語りやすい」のではなく「語りたくなる」「考えたくなる」感じなのです。
で、コーチングとは?
それを説明するスキルはないのですが、僕が味わったことを書いてみます。2つあります。
1つ目ですが、僕は数年前にCTIジャパンの基礎コースという2日半のイベントで初めて、コーチングと出会いました。
その2日半で、僕は「他人の会話を遮る、止めるのは失礼なことだからすべきではない」という自分の価値観と向き合いました。2日半それだけをやっていたわけではないですが、「それだけをやっていたのでは?」と今は思うくらいには、そのことが今の自分にも繋がっている、貴重な時間でした。
2日半、たしか、コーチングのスキルの一つで「中断」というスキルだったと思いますが、2日半のコースの中ではいつでも、コースの中でも、」コースが終わった時でも、「中断」を試していこうという目標を個人的に立てることになりました。
「中断」を試していくに当たっては前提条件があって、
・失敗していい、むしろ失敗しよう
・どんなタイミングでも(講師が説明している最中にだって)中断していい
・たくさん(回数)、スキルを試せた方がいい
というものがありました。
このコースでは10数名の参加者と数名の講師役の方々がいて、その全員は僕が「中断」のスキルを目標にしていることを知っています。参加者はそれぞれ、個人の苦手なスキルを目標に掲げて基礎コースを受講します。他の人のスキルを試すのを許可するのと同じように、僕が中断することを全員が許可しています。
そして、大事なことですがこの基礎コースはぶっちゃけ、too expensiveでした。受講した後は「コスパすげえいいじゃん」とか、「もう(かかった金額分は)ペイした」とか思いましたが。受講前は、「高いお金を自分のために払う」ということにはだいぶ日和ったのを覚えています。
なので、「せっかく高いお金を払ったのだから元を取りまくったろう」という意識は若干ありました。つまり、「中断」のスキルを試しまくったろうやないかい、という意識がありました。
そのため、なんとか「中断」をたくさんしようとしますが何も言えず、とにかく冷や汗だけが滴り落ちる時間が流れたのを覚えています。講師のみならず、参加者のみなさんにも「ほら!いまだよ!(中断してみては?)」という促しがありまくって、なんとか数回の中断にチャレンジできた時には、気分はもう生まれたての牛くらい、ヌルヌルでガクガクでしたね。生まれ変わった瞬間だと言っても過言ではありません。
そんなこんなで、「中断」を試したことで得たことについては後述します。
2つ目です。今、コーチングを受けているということについてです。
上のサイトの人、(よっちゃん、と呼んでいます)にコーチングをしてもらっています。
「働く30代女性のための」と記載ありますが、僕は生物的には30代の男性です。が、ご縁があってコーチングをしてもらえています。
コーチングを受けてみて、今のところとしては。
どういう文脈だったか忘れてしまったのですが、よっちゃんと話した結果、「両親の墓前で、今思っていることを言葉にしてみた結果、号泣」したり、1年弱もの育児休暇を取得することを決めたのも事前に自分がやりたいと思っていることをコーチングで話して明確になっていたから、という経緯もありました。墓前で、一人で独り言を言うなんて、なんかの映画かドラマの中でしか起こらないことだと決め付けていましたが、いざ自分が体験してみると、とても楽しいものでした。だって、自分の話したいことを自分が話したいように話せるんです。独り言なんで、当たり前のことでもあるんですけど、墓前だと「聞いてもらえている感」もあって、「ずっとオレのターン!!」というのが心地良かったのでした。
よっちゃんと話していなかったら、育休も取ってなかったかもしれませんし、このブログもやってないはずですね。
コーチングで得たものは?
1つめの基礎コースの話から行きますが、僕は「人の話を遮るほどに価値のある人間ではない」「他人の話を理解できないのは僕が悪い」という思い込みをしていることに気づき、その気づき(思い込み)は事実ではないことを知りました。
今だから、もっと言えば、「お前たちは愚かだ」「愚か者と話す必要がないから、自分からは話す必要がない」というくらいには精神が病んでいました。
そう、愚かなのは僕です。自分独自の世界を作って、そこに浸ってましたね。個人的には気持ちいいんですが、周りからすれば気持ち悪いですね。
また、中断のスキルを使っていくに従って、他人の話に割って入ったことが個人的に快感だということもわかり、そこを紐解いていくことで、僕は聞くより話す方が好きだという気づきを得ました。これは今でも衝撃的なくらいの気づきです。
なぜなら、それまで僕は自分のことを「話すより聞く方が好きな人間だ」と自己評価していました。でもその自己評価は、話し方がわからないとか、今話していいのかわからないとか、適切な言葉の選び方を知らないとか、相手との適切な関係構築ができないとか、そういう判断力や会話の技術が不足しているが故に、勘違いを起こし、自分の好きなこと(話すこと)から逃げていたことから、そうなってしまったのだと思います。
2つめです。
今やっているコーチングの中で僕は、「自分の枠組みを壊していくことが好き」という価値観があることに気づきました。
そうそう、こういう事に気づいた時に思い出すことがあります。
そういえば、昔から、「やもくんって〇〇だよねー」「あなたの得意なことは△△ですね」とか言われると、それが図星でも「ちがうよ?」とか「わかったふりすんな」とか思ってました。
つまり誰かに、自分の性格の一部を定義されたり明確化されると居心地が悪い感じがありました。
これがなんで居心地が悪いのか?
その理由も自覚している部分があります。
「〇〇だよねー」って言われると、実は自分も(そうそう、〇〇なんだよな)って心の一部に思ってしまって(無自覚だとしても)、自分で自分を枠組みに入れてしまうのがわかるからなんだと思います。
他人に言い当てられて嬉しいとか、わかってもらえて嬉しいという感情はあまり持ち合わせていません。でも、誰かに的を得た評価をもらうとその通りだなと全部受け入れてしまう自分もいるんです。それが、個人的には気持ち悪い。だから、「言い当ててくるな」と思ってました。なんなら、今も思います。言い当てないで。ダチョウ倶楽部さんや出川さんの「押すなよ押すなよ」じゃないですよ?
コーチングで得たものが何になるというのか?
1:「聞くより話す方が好き」
2:「自分の枠組みを壊していくことが好き」
大きくはこの2つを得た、と個人的には考えています。(本当はもっといっぱいあるけど)
1の話す方が好きと気づいたことは、自分の生き方の変化につながっています。でも、コレ!という結論めいたものはまだ見出せてないので抽象的になりますが書いてみます。
僕の中で聞くというのは、受け身なイメージです。相手のエネルギー(話)を受けて(聞いて)、返す。
話す、というのは積極的、主導的なイメージです。自分からエネルギーを渡していく行為。(あくまで、僕の中のイメージの話です)
話す方が好き、ということは「もっと自分からエネルギーを渡していっていいんだ」という気づきを得たことにもなりますし、「そうした方が自分が楽しく生活できそう」という予測にも繋がってきています。
これまで聞くばかりだったコミュニケーションの仕方を変化させていくのは簡単ではないのですが、意識的に「どうやったらこの人に自分から話しかけられるだろう」という意識は根づいています。でも、できないことも多いんですけれどもネー。。。
そういう意識になることも「面白い」と感じられますし、なんだか自らの生を楽しもうという意識も生まれている気持ちにもなります。
つまり大きな表現になりますが、生きることの難しさと、難しいのも面白いと感じられる感覚値を得ているんだと思います。それが一つ。
2の方の、自分の枠組みを壊していくのが好きだということに気づいたことで得られたのは、
僕が家族と一緒にいることの意味、僕が障害者福祉の仕事に携わっている意味を感じられたことでしょうか。
自分の枠組みを壊す、そのために僕は家族といたいと考えているんだと思います。子供たちもそうですが、特に嫁さんは「僕が思っている僕」を壊すきっかけをくれる人だと思われます。子どもが3人もいる、という世界線が一番大きいところですが、「自分では到達できない(と思っている)自分」に気づかせてくれることが多いです。
障害者福祉の世界も、僕が勝手に作り上げている「人間像」とは違う人たちと出会えます。語弊がたくさんあるかもしれませんが、変な人たちです。自分が出会ったことのない、どういうタイプの人なのかイメージがしづらい、そういう出会う人たちによって、僕は僕をもっと変えていきたいと思います。なぜなら、僕はもっとその人のことを知りたくなるから。もっと知らない人に出会いたくなるから。
そうすることで、もっと出来ることがあるのではないかという感覚を覚えますし、じゃあどういう風に自分を変えていけそうかという発想も浮かびやすいです。
今後も、自分の枠組みを壊せそうな事柄には楽しんで取り組めそうだなと思っているので、やるかやらないか迷った時の指標にもなりそうな気がします。だから、自分の人生への納得感が得られたというのか。「なるほどな」と思ったし、「その感覚(価値観を壊す)がやっぱり面白いな」と思うので、貴重な気づきでした。
あと、よっちゃんが提供している「6ステップコーチング」というのも最近始めました。コーチングのスキームが決まっているこの取組によって、自分のやりたいことを明確にするということに取り組んでいきます。
そんなこんなの、そんなこんなで、終わりになります。
コーチングは僕にとっては人生の価値が変わるものでしたし、自分の在り方にも意識を向けるものでしたし、それによって他人との関わり方や仕事への向き合い方にも大いに影響があったものになります。
「今の自分にはコーチングは必要ない、だって困ってない」
そう思っている人にこそ、コーチングはその意義があります。
だって困ってない。
それはなぜ?
と、聞かれて、あなたはなんて答えますか?
僕ですか?
僕は、そもそも困ってますからね!!
困ってない、じゃない。困ってんだこっちは!!ふざけんな!!(急にキャラを崩壊させるスタイルですので、お気になさらず。。。)
そんなこんな。
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